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旭影の人々(猛者の肖像)

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このページは、歴代の岡大拳法部拳士の評伝・エピソードを掲載していきます。新旧にかかわらず、原稿をお願い致します。匿名希望でもかまいません。また、掲載に不都合がある場合にも管理者までご連絡ください。

以下は、少林寺拳法部創立十周年記念「旭影の人々」(昭和51年7月10日刊)からの引用です。

特別会員 萬木延巳 ―色あくまでも浅黒し―

 姓は萬木、名は延巳。もっとも萬木はカーチャンの姓で、旧姓は津川。改めていうと、姓は津川、名は延巳。その性、礼を重んじ、義に厚く、智を尊ぶ。色あくまでも浅黒く、突き蹴りは丸太棒を振り回し投げつけるようであった。その突き蹴り風貌は鬼をもひしぎ、「馬殺し」と讃えられた世良氏とならび称された男。ところが残念なことに、都合により玉島道院に籍を移し、修養に励み、玉島道院岡田先生の片腕となってきた。そんな彼が美人のカーチャンをもらって(いや、もらわれたのかな?)一児の父親。拳士諸君、こと女性問題に関して失意を抱く必要なし。色あくまでも浅黒き「津川」を身よ。(藤森)



創立者(初代) 藤原勝久 ―創立の人―

 拳法部技、特に剛法の巧みなことは見るものをして舌を巻かせた。学業半ばにして(教養終了時)岡山を去り、再び帰らず。大事業家を目指して異郷でスタートした当初のみ知れるも、今は全く消息不明。将来のある日、忽然とベンツに乗って現れ、道場を感慨深げに眺める紳士あれば「藤原先輩」と声をかけてみよ。(川井)

第2代 久保公雄 ―天下の大達磨―

 この人、天下の大達磨。この三白眼でギョロリと睨んだだけでアラブゲリラが退散した話は有名である。部創立時代の精神的支柱として活躍し、今日の少林寺拳法部の基礎を作った大先輩。初期の部員は、この人と共に拳法をすることが出来たというだけで岡大に入学してよかったと今でも思っている。昭和50年4月まで三菱レイヨン・ベイルート支店勤務。社長をして「戦国時代に生まれていれば必ず天下を取っていた人物」と言わしめただけあって、少林寺の思想に裏打ちされた行動力は抜群。周囲のものを暖かくつつむ包容力もまた類を見ない。趣味は映画鑑賞。健さんと文太の映画は欠かしたことがない。(川井)


第3代 川井健一 ―発展の功労者―

 拳法部育ての親であるとともに、少林寺の教えをいまもなお体して、後進を指導されているOBの中でも数少ない現役である。その前は、京都の京山道院長でもあった。常に微笑を絶やさないあの顔からは想像もできぬが、創立当初は竹刀を持ってビシビシとしごきあげる鬼の先輩であったとか。白蓮会創立以来、会長として部発展のために尽力されている。部とともに生きる伝説の人である。(旭影)


第3代 土居俊之 ―絶倫染色体―

 真面目一本の人物。結婚するまで○○を保ち、奥さんを感激させた。現在、阪大微生物病研究所でライフワークとして精子を研究の対象としている。テーマは「絶倫染色体の発生」。これは馬の精子から採取したある種の物質を人間の精子に「味の素」とともにふりかけることによって、突然変異を起させようとする研究である。(川井)


第4代 秋富重徳 ―不気味な微笑―

 この人も津川氏と並ぶ「色あくまでも浅黒き人」である。入部当初は、誰が見ても日本語が話せるとは思えなかったという神話が残っている。その見かけどおりスタミナは抜群。笑いながら「さあ行こうぜ」という顔の不気味さに、皆その後の地獄の特訓を予期して震え上がったものだ。そう、マラソンのアベベをニコリとさせた顔だ。(旭影)


第4代 加藤 博 ―小さな巨人―

 練習、合宿の時の先輩は、まさに“鬼軍曹”だった。竹刀片手に気合を入れられると皆震え上がったものだ。

 ところが、彼のあの小さな体のどこにあれだけのファイトが潜んでいるのか不思議であった。その圧巻は何といっても四十三年の中四国学生大会であろう。自分の倍ぐらいある相手をバッタ、バッタと蹴散らす姿はまさしく小さな巨人であった。運悪く足を負傷し(足の小指の骨にヒビが入るという重傷)病院にかつぎ込まれ、昼からの組演武決勝出場は不可能と思いきや、歩くのが精一杯という状態でなんと中四国№1の演武をやってのけた。あの演武を見て誰が、ヒビの入った指に麻酔注射を打っての演武だと信じるだろうか。いまでもサンドバック相手に鍛練しているとのこと。OB会でぜひ、もう一度見せてもらいたいものだ。(秋富)



第4代 山懸謙三 ―ネクタイは嫌い―

 反骨の人である。ネクタイをしめるのが嫌だからと、さる大手企業を飛び出して、現在の職(岡山県貨物)に就いた。小柄な体に野性味あふれさせる静かな男だった。(旭影)


第4代 瀬口渉一 ―尺八の名人―

 小倉生まれの小倉育ち。生粋の九州男児。九州男児特有の太っ腹な性格で、無理をいってよく助けてもらったものです。下宿に行くと、本棚に並ぶマルクスから全ての分野にわたる蔵書に驚かされたものです。拳法では、あの隙のある独特の構えで乱捕の強さは抜群でした。少林寺拳法の他に邦楽部にも籍を置き、演奏会ではさびのある尺八の音色を聞かせてくれました。酒も強く、一杯飲んでの彼の美声、味のある話によく泣かされたものです。また、大変なロマンチストで、自然を愛し、現在でも暇があるとよく山歩きをするそうです。(山懸)


第4代 高木憲昭(旧姓:長櫓) ―やぶにらみと乱捕―

 そもそも少林寺拳法部が現在もなお本質的に品性の面において他の部に劣るならば、その責任はこの人に負うところ大である。総じて四代目の先輩諸氏はレベルを超える「ワイセツ性」の持ち主だったが、この人はまた一段とその中でも抜きん出ており、ダンパのあるところ必ず彼の顔があった。しかし彼を語るとき、乱捕を忘れることはできない。とりわけ思い出に残っているのは、第三回中四国学生大会個人乱捕決勝での同じ岡大苅谷良吾先輩との対戦である。結局、得意の蹴りで順当に後輩の苅谷氏を破ったが、応援する者としては内輪同志の優勝戦であり、まことに気楽だった。彼のどこを見ているか分からぬやぶにらみの目で繰り出す突き蹴りは逸品であった。(旭影)



第4代 浅野和宏 ―色の道教えます―

 指の爪を常に切り揃え、清潔に保つことが男のエチケットであることを最初に教えてくれたのが、この浅野先輩。もっとも身にしみて理解できたのは数年後であったが。筆者が一年、先輩が四年のとき、神聖なるBOXにおいてであった。高木(旧姓長櫓)先輩と並ぶ色道指南役だった。夏になったら渋川海岸へ行ってみよ。ビキニ娘の後を付かず離れず期待に満ちた顔をして歩くちょっと短足の男がいたら「浅野先輩」と声を掛けてみよう。蛇足だが、もちろん乱捕の浅野であった。(旭影)



第5代 大本春美 ―「姫」―

 とおり名を「姫」という。彼、いや彼女は明晰な頭脳を有し、溢れる情熱の持ち主。シラケたようなことをいいながら全身で飛び込んでいく。人を人とも思わないような口のきき方とは逆に、実に神経が細かく暖かいものを感じさせる。ところが、一度道着を着けさせれば、なまじの男など裸足で逃げ出すような練習だった。柔道・空手・剣道にも通じる武女(武士の女性形)である。(藤森)



第5代 藤森茂樹 ―紳士の仮面―


 藤森氏をわずか270字そこいらで説明しろだと?270字で藤森氏が説明できるほど、彼はそんな・・・そんなチャチな人間じゃない!人格あくまで温和にして高潔、頭脳明晰にして、みめウルワシク情あり、飲しては天下国家を論じ、食しては天下国家を憂う。これぞまさしく明日の日本を背負って立つべき日本男児・・・なーんてことは私めにはとてもいえそうにない!

 とにかく、学生時代の彼は、かの少林寺拳法にはめずらしいほどの紳士と見受けられたが、その紳士の仮面の裏に秘められた素顔は、・・・毒書を愛し、鼻の下あくまで長く、目を血走らせ、ヨダレタラタラ、ハァハァハァ・・・であったとサ。(大本)

第5代 杭田 要 ―夜の皇太子―

 ファイトマンである。部活動はもちろん勉学もがんばり屋で、大学生活は院も含めて七年間もかけた。彼は別名「夜の皇太子」という。命名は川井会長。この名は実に当を得ており、一見まじめズラで後輩の前で人生倫理を説くが、裏をのぞくと、先頭に立ってオチた話をする。だがこれは口先だけ。実は結婚まで童貞だったのはもちろん、後も依然童貞保存中。すると子供は誰の子だ?スマートで理論的な乱捕だった。(世良)


第5代 世良親臣 ―馬殺し―

 大きな図体、口からはドスの効いた今治弁が出てくる。でも彼は本来優しくかつ真摯な人です。当然彼は勉学に、部活動にそしてカワイコちゃんとの合ハイ活動にとがんばり、まさに「剛柔一体」の懸命なる修行をした模範拳士でした。暑い日、寒い日いつも参禅練磨していた彼でした。そういえば、道場がなく運動公園で練習していた頃、見物の老空手家が彼の蹴りを見て、「馬をも殺せる」と評したことがある。以来「馬殺しの世良」となりました。その彼も一つ悩みがありました。それは少林寺拳法ならず少林痔拳法?も修行したからです。ところで世良君、今治ったかなぁ。(杭田)

第5代 野村憲三 ―メダカの学校―

初対面の人にはいかついオッサンだが、元来彼は非常に奥の深い人間味溢れた頼りがいのある男。学生時代より能弁で知られ、ダイエーに入社して以来、青果担当のバイヤーとして口八丁手八丁で活躍中。会社がなぜか彼を手放さない理由もその辺にあるらしい。女性のワンサといる職場なのにいまだ色気じみた話を聞かない。もてないままはや三十歳。勇気ある女性よ集まれ!夜の部も多種多芸で、伝授希望の方は酒一升と割箸を持って校長先生の下へメダカとして弟子入りしたまえ。(佃)



第5代 佃 憲冶 ―ネコロンビア社長―



第5代 尾後秀雄 ―前ちびの片キン―



第5代 安本慎一 ―ニヒルな男―



第6代 藤森文雄 (旧姓:伊藤) ―名はチヨタ―



第6代 佐藤正明 ―努力の人―



第6代 友杉富冶 ―聖人君子―



第6代 大倉由美子 ―女の意気地―



第6代 岩本徳雄 ―ダンパに生きる―



第6代 苅谷良吾 ―ケンカ道―



第6代 徳山秀樹 ―性教育教諭―



第6代 高橋正義 ―アーさん―



第6代 藤井訓博 ―あげてよかった―



第6代 井上昭敏



第6代 国方秀樹



第7代 入江哲郎 ―きょうも“口”が―



第7代 古家野勇 ―器用人―



第7代 福本 悟 ―男は金だ―



以下は、「旭影」からの引用です。


第18代 nさん ―豊かな自由人―

 当時nさんは我々の2代上の主将をされており、そのやさしい人柄とそれに相反する練習の厳しさは出色であり、おかげをもってえらい目にあってきました。

 その中でも、厳冬下の早朝練習で、素足で霜柱を踏み潰してグランドを走った後、旭川の中原橋までランニング、川に下半身を浸けて突き蹴りをした後、再び走って道場に戻ってきた日はきつかった。その日の最低気温は、後のテレビのニュースでは-5℃だったそうですが、濡れた下の道着はバリバリに凍り、道場に上がるために氷の塊を掻き落すのに苦労しました。確かその日の1~2日後に岡山理科大の空手部かなんかで心臓麻痺で死人が出て事件になっていました。我々のほとんどが氷のような河水に腿まで浸かるのに、泣きそうな顔をして遅々としていた中で、nさんは一人涼しそうな顔をして、深みまで先頭を切って浸かっていっていました。その時は一体この人の神経はドウナッテイルンダとも考えてしまいましたが、今ではnさんの涼しそうな顔のほうを強く思い出します。

 また、いつかの夏合宿で、早朝のウォーミングアップでランニングをしたとき、先頭のnさんがいつまで走っても止まる様子もなく、増々スピードアップし、全速疾走し、隊列は数百メートル以上に伸び切ってしまいました。その時、長距離に多少自身もあった私や何人かが遅れないように追い駆けていきましたが、結局、ウォーミングアップだけで7~8km近くほぼ全力で走ったと思います。なぜウォーミングアップだけでここまでやるのか、と同期の幹部の方が非難混じりに詰問した時、nさんは、「いつまでも後続が付いて来るので、振り切ろうとしたらここまで走っていた。」と爽やかな笑顔で答えて、我々を深く唸らせていました。その時が盛夏だったこともあり、ランニングとしては4年間で最もきつかったこと、当然その直後の練習は消耗が激しく十分に行えなかったことも記憶しています。

 当時はnさんの練習指導は「何も考えていない」と皆にぼやかれていましたが、久しぶりに思い出してみれば、合理性ばかりを追求しない当時の練習指導も良かったかなと思っています。また、それは(練習指導する方だけにであるが)豊かな自由度があったともいえます。誰でも卒業すれば、行動に計画性・合理性を求められるようになるだけに、学生時代の野性的で衝動的な練習・体験は、その後に価値のあるものになると思います。(第20代、野中昭彦氏 筆「旭影」第14号(平成9年9月発行)に掲載された記事から抜粋

師範の顔へ突を入れた男

 我が部は、毎年春季本山合宿に参加しているが、その本部合宿でのエピソードを一つ。

 あれは、合宿4日目のことであったと思う。本部合宿は、各階位ごとに術技を行う。従って我々幹部は、第三道場で上受投の講習を受けていた。その時の担当師範は村岡先生であった。ひととおり各自で練習した後、村岡先生が全員に集合を命じられ、上受投の説明をされる。2分ほど説明しておられたが、あまり口で言っても上手く説明できないので、「誰か出て来い!」とおっしゃった。その時、運良く(?)最前列で聞いていた野中が先生につかまり、前に出されたのである。村岡先生は、実際に自分が技を掛けることによって、より皆が判るように説明されようとしていた。「突いて来い」と、おっしゃった。すると野中は何を勘違いしたのか、逆直突を突いてしまったのである(上受投は逆の百会、または頭部への上からの裏拳打ちの攻撃に対する技である)。そしてそれがこともあろうに村岡先生の上受をかすめ、「バチン!」という音とともに先生の顔面に当たってしまったのである。「あっ、何しよんやあいつ」、「ほー、ごつい奴やのー、どこの大学や」、「岡大や、岡大や」、「何考えてんねん」と、周囲から漏れる嘆息と罵声の中で野中はただボケッとした顔で立っているのであった。突かれた先生は、一瞬狼狽されたが、「裏拳で突いてこい」とおっしゃって、今度は上手く説明されたのであった。後で野中に聞いてみると、独特の赤穂弁で、「突け、言われたから突いたんやないか」、「あの時、頭がボケーとしとって、何しよんかわからへんかったんや」と、語った。その言葉に幹部一同開いた口が塞がらなかった。このエピソードは、普段、「赤穂浪士の血が流れとるんや」と豪傑ぶっているが、実は終始ボケッとして何も考えず、本能のおもむくままに行動している野中の人間離れした性格を端的に表わしたものであると、幹部の間で今も語られている。

(第20代、三浦 真氏 筆: 「旭影」創立20周年記念号、昭和59年11月発行から抜粋)

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