以下の文章は、「岡大スポーツ50年史」に少林寺拳法部として寄稿したものです。作成に当たっては、第3代川井健一氏、第4代秋富重徳氏、第五代杭田 要氏、世良親臣氏、第7代納所 實氏、第20代三浦 真氏の協力を得て、第20代舟橋が執筆させて頂きました。
1965年(昭和40年)に創設された我が少林寺拳法部は、大学における少林寺拳法系サークルとしては、中四国で愛媛大学に次いで2番目に古い歴史を持つ。岡山道院(現岡山中央道院)に通っていた藤原勝久(初代、右写真)が、小池孝忠道院長(現岡山県少林寺拳法連盟顧問)を初代監督に迎え、十数人で同好会を発足させたのが始まりである。
昭和40年5月、岡山大学少林寺拳法同好会発足
初代主将である藤原勝久(創始者)以下、川井、久保、土居、岡田、中西、瀬口、山縣、加藤、秋富、??
(10数名のメンバーで発足)
当時、有段者は藤原主将のみであった。
当初から夏合宿や寒稽古はあった。
当初は専用道場が無く、練習は、いつも青天井の下、法文学部のグランドや県運動公園の芝生などで行われた。翌1966年に結成された中四国学生連盟主催の第一回中四国学生大会(松山市)では、総合第2位の成績を納め、特に段外者の乱捕部門では他を圧倒した。一日も早い部への昇格を実現させるために、練習の充実および部員数の獲得に努めた結果、当時としては珍しい女子を含めた入部者が急増し、男女区別無く厳しく練習する伝統が培われていった。また、秋富重徳主将(第四代)以下の他部への積極的な働き掛けが功を奏し、1967年4月に念願の部に昇格することが出来た。部員の意気は益々高揚し、62名の部員数を持つに至ったが、専用道場を得ることは依然出来ず、屋外での練習が続いた。真夏の炎天下や真冬の寒風の中での厳しい環境下での練習はきついものであったという。冬休み明けの早朝寒稽古などは、剣道部の道場を借用して行われていた。
また、OBが急増したのに伴い、1968年3月にOB会「白蓮会」が発足した。OB会の名の由来は、少林寺拳法の法形である「白蓮拳」からの二文字を採って「白蓮会」と名付けられた。同年春に岡山市で開催された第3回中四国学生大会では愛媛大学と同得点優勝に輝いた。現在も練習納めとして残る年末の伝統行事である「20kmマラソン(大学~吉備津神社往復)」は、この年から始まっている。さらに同年、部誌「旭影」が発刊されている。岡山の真中を流れる旭川の「旭」と光という意味の「影」、すなわち「旭川(岡山)の光」という意味を込めて、第五代の杭田要氏によって名付けられた。その後、「旭影」はOB会誌として引き継がれ、第7代の納所實氏を中心に現在も発行され続けている。
道場を得たことで天候に左右されない練習が可能になり、部はさらに活気付き、同年の第5回中四国学生大会では、全階級の乱捕で優勝もしくは2位と圧倒的な強さで総合優勝を果たした。当時は大会での乱捕が盛んであり、また伝統的に良い成績を挙げていたこともあり、どうすれば乱捕が強くなれるかが競われた。「馬殺しの世良」の異名を得た第5代の世良親臣の蹴りや中四国随一と言われた第6代の岩本徳雄などは今もOBの語り草となっている。また1979年からは、小池重満先生(総社道院長)を第2代監督に迎え、現在も指導頂いている。
1981年に老朽化した旧BOXが取り壊されることに伴い、新築された現BOXに新たな部室を得た。さらに、道場の敷地に教養部D棟(現一般教育棟D棟)が増築されることになり、1983年春に旧BOX跡地に新築された第一武道館に新たな道場を得て、現在に至っている。この頃も、乱捕などで胴を蹴り込んでもびくともしない足底や安定感ある足腰を鍛えるために、妙善寺まで裸足で走ってから道場で練習に取組んだり、時には中原橋や大原橋まで走り込んだりと、乱捕のための基礎体力の向上に時間を割いた。三野公園の階段もOB・OGにとって額に汗した懐かしい練習場所である。
大会での乱捕で事故が相次ぎ、1981年以降大会での競技乱捕が禁止され、伝統の乱捕の部で入賞することは出来なくなったが、組演武や団体演武での入賞は今も中四国学生大会や県大会で続けている。しかし、「運用法」と呼ばれる乱捕練習は、伝統的に重要視され、現在も活発に道場などで実施されており、上級生を熱く社会に送り出す「追い出し乱捕」の伝統も受け継がれている。初期の頃は、いわゆるバンカラの気風を受け継ぎ、上下関係は大変厳しかったが、昨今の学生気質の変化に伴い、部の雰囲気も徐々に変化を遂げ、けじめのための上下関係はあるものの、本来少林寺拳法が求める横の関係を大切にする集団へと変化している。しかし、少林寺拳法の様々な技法を磨くために日々遅くまで練習に熱中する部員の少林寺拳法への想いと情熱は今も昔と何等変わってはいない。また最近では、「誕生日乱捕」と称して、誕生日を迎えた部員が歳の数だけ乱捕のラウンドをこなすという手荒い祝賀会が部の新しい伝統になりつつある。
夏休みには、毎年西日本各地(最近は主に大山)で実施される夏合宿(およびそこで行われる様々な“伝統儀式”)を通じて、新入生は名実ともに拳法部の一員となる。また一時期までは、冬休み明けの寒稽古で、早朝旭川に腰まで浸かって基本練習なども行われた。春休みには、香川県多度津の少林寺拳法連盟本部での全国大学支部合宿に毎年参加しており、技術的・人間的向上が図られている。他大学との交流も盛んで、県下の大学少林寺拳法部とは毎月合同練習を実施し、第五代の杭田要が監督・顧問として長年率いる群馬大学少林寺拳法部とは、1984年以来、毎年岡山で合同練習および交歓会を実施している。また、1998年には、創部当時から長らく顧問教官をお願いしていた三宅克彦教授が退官され、第20代の舟橋弘晃が後を継いでいる。
2001年1月現在、少林寺拳法部には26名の現役部員がおり、監督および5名の特別会員を含む226名の「白蓮会」会員を羅するに至っている。
歴史の文章は2002年2月17日に更新しました。
略年表
昭和40年(1965年) 日本少林寺拳法連盟岡山大学支部発足
昭和41年(1966年) 岡山大学少林寺拳法同好会として認められる
昭和43年(1968年) 部に昇格
昭和45年(1970年) 道場を得る(現在の一般教育D棟の拡張部分)
昭和46年(1971年) 岡山大学医学部にて少林寺拳法の練習を開始
昭和50年(1975年) 創部10周年
昭和54年(1979年) 小池孝忠先生に代わり小池重満先生が第2代監督に就任
昭和55年(1980年) 開祖遷化
昭和57年(1982年) 部室を移転(旧部室は現在の第1・第2武道館にあった)
昭和58年(1983年) 現在の道場(第1武道館)に移転
昭和60年(1985年) 創部20周年
平成 7年(1995年) 創部30周年
平成10年(1998年) 初代顧問の三宅克彦先生ご退官
平成15年(2004年) 小池重満先生に代わり舟橋弘晃(第20代)が第3代監督に就任
平成27年(2015年) 創部50周年 白蓮会役員新体制スタート
平成28年(2016年) 本部より50年継続表彰を受賞
現在に至る